バクオン東灘貨物駅(ナダタマアーカイブス)

写真
2016年3月26日に東灘貨物駅跡に開業するJR摩耶駅

神戸の町の音として、昔から「船の汽笛」なんてよくいわれます。
いわゆる「エキゾチック」っつうやつですか?
「プオー プイプイプイ」なんていったりするんですよね。
そりゃあ、私も小さい頃たま~~~に家族で元町なんかいったり
したときにゃあ大変でした。
まず昼飯。母と父のトンカツ戦争勃発。
母「今日は『武蔵』の海老かつにしよ」
父「いや今日は『呂路』や」
母「ケンイチは『武蔵』がええのに」
父「いや…今日は『呂路』や!」
私「・・・・(どっちでもええ)」

もとい、話が少しそれました。
とにかくどっちか行ったあと、何故かメリケン波止場に散歩に行っ
ていました。そこで「プオー プイプイプイ」でした。
ナダクミンの私にとっては「プオー プイプイプイ」はやはり元町
や三宮へ行く、ちょいよそ行きのハレの音でした。

では、普段使いの灘の「ケ」の音ってなんでしょう?
真っ赤に染まる敏馬の空をバックに、ガード下に潜んでいたナダコ
ウモリがうれしそうにダンスを始める灘の夕暮れ。

「ガガガガチャ!ガチャ!ガチャ~~ン!(チャ~ンチャ~ン…)」

神戸製鋼の煙突をも震わせ、天上寺の鐘も共鳴し、海星のマリア様
も思わず耳を塞ぎ、灘浜のテンコチも失禁してしまうといわれる
あのナダゾチックで灘っ子の腹に染入る爆音。
どこから聞こえてくるかというと…

JR灘駅と六甲道駅の間に「東灘貨物駅」というのがあるのはご存知
でしょうか?以前「なぜ灘区にあるのに東灘貨物駅というのか問題」
でも話題になった駅です。この駅の歴史は古く明治37年に「灘
信号所」として開設されました。その後大正6年に西灘村、西郷町
の有志の熱意が受けられられ旅客専用駅「灘駅」として格上げされ
ました。その時駅がちょいと西(現在の灘駅)に移動し、従来の灘
信号所は新しくできた灘駅の東だから東灘駅(貨物専用駅)とされ
ました。
東灘区民の方、このあたりで「その話納得いかない(ドン!)」
って感じになりませんか?
さっさと神戸市に編入された灘区、ごねて編入が遅れ灘区の東に
なったから東灘区。いっしょですよね~。
いっそ住吉駅を灘駅にしとくべきでしたね~。
残念でしたね~。

話がまたそれてしまいました。

そんな東灘区みたいな東灘貨物駅は神戸港方面にのびる臨港線の
分岐駅として地味に機能しています。
そこで毎日派手に行なわれていたのが
「ガガガガガチャガチャガチャ~~ン」の爆音です。
本線上の貨物を神戸港方面へ移送させるため、貨物列車を編成しな
おす時に貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と
貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と
貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と
貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と
貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と
貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と貨物車と…貨物車が50両ばか
りぶつかりあう音なのです。夕方になると、遠くの方からあの
「ガガガガガチャガチャガチャ~~ン」がやってくるのです。文字
だとうまく表現きませんが、ドミノ倒し的といいますか、伝言ゲー
ム的といいますか、都賀川(大石川)あたりから西に向かって爆音
が走り抜けるのです。ちょうど腹が減ったところに響くその爆音は、
灘っ子にとっては空腹に轟く時鐘であり、もうすぐご飯の知らせで
あります。
「腹がグー、貨物がガガガチャガチャガチャ~~ン」
中田ダイマルラケットの漫才のように毎日繰り替えされる儀式なの
です。

かつてはヨーロッパ行きの客船の乗客を神戸港へと運ぶ「ボート
トレイン」も通った東灘貨物駅
市バスのバス停もあった東灘貨物駅
王子動物園の動物達を下ろした東灘貨物駅
貨物列車がいっぱい止まっていた東灘貨物駅
重油臭かった東灘貨物駅
電車から見てもどこが駅かわからない東灘貨物駅
照明灯がとっても明るい東灘貨物駅

それでいつもレールが光っている東灘貨物駅
…なんだか森本レオの『母さんの歌』みたいになってしまいました
が、そんな大好きな東灘貨物駅から港へと伸びるあのノンビリとした、
臨港線も廃止されると聞きました。

あの爆音が聞こえなくなって何年経つのでしょう。いや今でも聞こ
えているのかもしれませんが、大人になって聞こえなくなってしま
ったのかもしれません。(それはありうる)

みなさんもどうぞたまには街に(遠く灘を離れた方は記憶の中の灘の
街に)耳をすませて見てください。
忘れていたあの街の音が聞こえてくるかもしれませんよ。

今日耳をすませば、上空には報道ヘリの爆音。
震災から7年経ちました。

(naddis020120-113 ナダソニック10「バクオン東灘貨物駅」2002.1.20より)