【灘の朝ごはん2食目】喫茶ローズ

喫茶「ローズ」のテーブルは低い。どれくらい低いかというと「今日は、暑いのう」とか言いながらパタパタとうちわを仰いでいる笠智衆を捉える小津安二郎のカメラの位置くらい低い。わかりにくいな。このちゃぶ台以上テーブル未満の、いわゆる「純喫茶」独特のテーブルの高さは、ちゃぶ台という和の文化とカフェという洋の文化がせめぎあった末のいい塩梅の高さなのではないか。知らんけど。やがて膝の高さのテーブルにトーストとコーヒーが運ばれてくる。壁に目をやるとALTECのスピーカーとエキストラコーヒーのカレンダー、年代物の巨大なダイキンのクーラーがブンと低い唸りを上げながら冷気を吐き出す。月曜日特有の気ぜわしい前のめり感がふっと落ち着く。ここはあえて月曜日の朝に行くのがいいかもしれない。丸みを帯びた窓枠に金色のカーテンがかる0系新幹線のグリーン車のような窓からは坂道が見える。梅雨の時期は地獄坂を登る神戸高生の足取りも重い。今日も暑くなりそうだ。

喫茶ローズ
●場所
神戸市灘区天城通7丁目
●本日の朝食
ホットコーヒー、トースト
280円


【今日は灘の日】7月9日

1967年(昭和42)7月9日 集中豪雨(329mm/日)により摩耶山、六甲山麓の崖崩れ、都賀川、観音寺川、西郷川などが押し流した土砂で被害甚大。篠原本町の田岡邸前には土砂が堆積。灘区内の被害は死者6、行方不明1、重傷3、家屋全壊・流出64、半壊62、床上浸水357、床下浸水1541、河川決壊6、溢水氾濫15、決壊危険11、橋破損3、山崩れ16、崖崩れ10、石垣崩れ1、道路閉塞13、道路崩壊3、溝溢水17

日柳川が氾濫し始めた灘公設市場付近

篠原本町の被害状況


【灘の昼ごはん365食目】largo「海老とバジルとチェダーチーズの生麺パスタ」

灘区に大きな被害をもたらした昭和13年の阪神大水害は7月5日、昭和42年豪雨は7月9日、いずれも台風に刺激された梅雨前線による集中豪雨によりもたらされた。灘クミンにとって前線と台風の組み合わせはトラウマなのだ。昭和42年豪雨では摩耶山のいたるところで土石流が発生し、大量の土砂が街を飲み込んだ。山が近いとはそういうことだ。普段はおだやかな六甲山だっていつ牙を剥くかわからない。もちろん山が近くていいこともたくさんある。山を降りればすぐ街があるという環境は神戸に住むことの大きなアドバンテージだと思う。山と街をつなぐ坂バス「水道筋商店街北」バス停からほど近い灘センター商店街の隠れ家系イタリアン「Largo」は山帰りに寄りたい店の一つ。和食器に盛り付けられたもちもちっとした太めの生麺に海老とチェダーチーズのソースが濃厚に絡み、休日の下山後とかにワインと合わせるとドンピシャだよなーなどと思いつつ、今日はぐっと我慢。店の前にはハイカーのためのリュックを固定する(らしい)フックまであるという山帰り仕様もうれしい。店を出ると商店街のアーケードにトリミングされた新緑の摩耶山が間近に見える。明日は登って下りて飲んで食うぜ!

largo「海老とバジルとチェダーチーズの生麺パスタ」
●場所
神戸市灘区倉石通2丁目(灘センター商店街)
●本日の昼食
海老とバジルとチェダーチーズの生麺パスタ、サラダ
800円(税別)


【灘の昼ごはん364食目】シバサクティ「カレーうどん」

インドルーツのカレーと日本のうどんが合体したカレーうどんは誕生当初はキワモノ扱いだったと思う、おそらく紆余曲折の歴史を辿ってきて「日本の味」として定着したのだろう。そんなカレーうどんの歴史を真っ向から否定するカレーうどんが灘にある。そもそも通常うどん店のメニューであるカレーうどんが、インド料理店で供されるのだ。まずうどんが皿に盛り付けられているというビジュアルにハッとさせれらる。皿うどんではなく皿カレーうどん。そして緑色がかったルー(ほうれんそうとチキン)の半端ないなんじゃこれ感。本当にこのビジュアルでいいのかという若干の疑問を感じつつ一口食べると爽やかなデカン高原の風が体の中を抜ける。インド文化が日本文化と融合してさらにインド化されるという前方伸身宙返り3回ひねり的なカレーうどんだった。案外神戸らしいメニューかもしれない。

シバサクティ「カレーうどん」
●場所
神戸市灘区水道筋6丁目
●本日の昼食
カレーうどん(ほうれん草とチキンのカレー)
700円


【灘の朝ごはん1食目】カフェ・ド・ピコロモンド

今朝は大石のBSショッピングセンターから25年前に王子公園の東に移転した老舗喫茶店「カフェ・ド・ピコロモンド(旧ピッコロ)」で分厚いトーストをかじり、コーヒーをすする。大きな窓から青谷リバーを眺めているとヘンリー・マンシーニの名曲「ムーンリバー」を思い出した。学生時代「ティファニーで朝食を」を初めて見たときティファニーという喫茶店にヘップバーンが朝飯を食べに行く映画かと思ってたら全く違っていた。数年後、女の子へのプレゼントはティファニーのオープンハートというバブリーな時代になったが、当時の僕にはそんなものは買えず、結局リンゴの形をしたピアスを誕生日に渡したと思う。あれから30年経った。そして「カフェ・ド・ピコロモンド」は今年創業50年を迎えるそうだ。

カフェ・ド・ピコロモンド
●場所
神戸市灘区中原通7丁目
●本日の朝食
ホットコーヒー、トースト
450円


【灘の昼ごはん363食目】晃龍「炒飯」

神戸はウスターソース発祥の地だそうだ。今でも神戸市内には小さなソース蔵(というのか?)があり独自の地ソース文化を形成している。思い起こせばウスターソースは醤油と並ぶ食卓の必需品だった。カレーに天ぷら、エビフライ、そして豚まんにもソースを合わせるのが神戸流だった(と勝手に思ってる)。中華でも容赦しない、炒飯にだってウスターをかけた。久しぶりに「ウスターをかけた炒飯」を食べたくなった。といっても最近の味の濃い炒飯にウスターをかけるとくどくなってしまう。その点、畑原市場の中華惣菜「晃龍」の炒飯はウスターがよく合う。最初はそのままあっさり食べる。そして後半にウスターをひとかけした瞬間、中華と洋食が渾然一体となった神戸のソウルフードに変貌するのだ。

晃龍「炒飯」
●場所
神戸市灘区倉石通1丁目(畑原市場)
●本日の昼食
炒飯(ウスター味)
300円


【灘昭和館】阪急西灘駅

33年前のロサンゼルスオリンピックの年、5月のどんよりと曇った日だったと思う。

「松蔭に可愛い子がおるねん。知っとお?」

西灘楽天地の「モスバーガー西灘店」で学校をサボっていた時、友人から聞かれた。

「いや」

学校までの長い坂を登る気力も知力も体力も消え失せていた僕は、そんなことは
どうでもよかったが、友人と別れたあと、当時松蔭生がよく立ち寄った阪急西灘駅
東口の「あんどれ」を覗いてみた。
もちろん、その可愛い子はいなかった。というよりどんな顔かも知らない。
駅には張り紙があった。
「6月1日から阪急西灘駅は阪急王子公園駅に変わります」
顔もわからない松蔭生より、そっちの方が気になった。

5月31日、珍しく学校に行ったあと、坂を下り今日で最後という阪急西灘駅に向かった。
なんとなく「阪急電鉄 西灘 59−5-31」と刻印された入場券を買ってから、
ふと「あんどれ」を覗いた。
もちろん彼女はいなかった。

見知らぬ松蔭生は西灘駅が王子公園駅に変わるのと時を同じくして東京へ旅立った。
彼女が「南野陽子」としてデビューするのはちょうど1年後だった。

そして今日、2系統のバス道沿いの骨董店で33年ぶりに西灘駅を手に入れた。