「神戸ものがたり」
陳舜臣著・平凡社 (1998/01)
作家陳舜臣さんは灘区伯母野山に住んでいた。
しかも「灘区の中心で愛を叫ぶ」で有名な六甲学院正門前。
中国史を基盤とした歴史小説家として著名な陳さんが初めて
小説以外の作品として書いたのが『神戸というまち』(昭和40年)。
その16年後に改訂版の『神戸ものがたり』が出版され、さらに
16年後今回紹介する文庫本の『神戸ものがたり』が出版された。
陳さんの描く「神戸本」の醍醐味は、神戸に生きた人のものがたりを
通して街のものがたりを紡ぎ上げるところにある。
六甲山の開祖グルームを始め、原田の森を闊歩した稲垣足穂、
谷崎潤一郎、モラエス…かれらの生き様を通してあぶり絵のように
神戸のまちが浮きあがってくる。
ジャンジャン横町、メリケン波止場、布引、六甲、須磨…。
凡百の「神戸本」とはわけが違う。
もう聞きたくもない、ハイカラだのエキゾチックだのという神戸を
語る常套句も少ない。
神戸独特の風土を陳さんは「軽い精神」と呼ぶ。
伝統もなく、多方面から寄り集まった街の人々は極端に現実的で
時には悪趣味である。
振り向かない街であり、軽率で先走りな街なのだ。
先駆者になりうるが、大成はできない。
それは幾度もの破壊と再生が繰り返されている街であることも
関係しているのかもしれない。
陳さんも大水害、戦災、そして震災と大きな苦難を乗り越えて来た。
「古いもんはいずれなくなるんヤ」
「新しいもんもまた古くなるんヤ」
灘駅が建替えられようと、赤坂の家がなくなろうと、大正銀行が取り壊されようと
あまり気にしない、ある意味達観したような灘区の古老たちの言葉にも
「軽い精神」はリンクする。
しかし陳さんはその「軽さ」にも疑問を呈している。
そろそろ神戸も振り返る時期に来ているのではないかと。
陳さんは「灘区の中心で」震災の日を迎えた。
本書には何年経っても何度読んでも涙腺が緩む、震災直後1月25日の
神戸新聞朝刊1面に掲載された被災した神戸市民へのメッセージ
「神戸よ」も収録されている。
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神戸よ
我が愛する神戸のまちが、潰滅に瀕するのを、私は不幸にして三たび、
この目で見た。水害、戦災、そしてこのたびの地震である。大地が揺らぐ
という、激しい地震が、3つの災厄のなかで最も衝撃的であった。
私たちはほとんど茫然自失のなかにいる。
それでも人々は動いている。このまちを生き返らせるために、けんめいに
動いている。亡びかけたまちは、生き返れという呼びかけに、けんめいに
答えようとしている。
水害でも戦災でも、私たちはその声をきいた。五十年以上も前の声だ。
いまきこえるのは、いまの轟音である。耳を掩うばかりの声だ。
それに耳を傾けよう。そしてその声に和して、再建の誓いを胸から胸に伝えよう。
地震の五日前に、私は五ヶ月の入院生活を終えたばかりであった。
だから、地底からの声が、はっきりきこえたのであろう。
神戸市民の皆様、神戸は亡びない。新しい神戸は、一部の人が夢見た神戸では
ないかもしれない。しかし、もっとかがやかしいまちであるはずだ。人間らしい、
あたたかみのあるまち。自然が溢れ、ゆっくり流れおりる美わしの神戸よ。
そんな神戸を、私たちは胸に抱きしめる。
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震災から12年が経った。
神戸は、いや灘区は美わしく、かがやかしいまちになっているだろうか?
やはりそろそろ神戸も振り返りながら未来を見つめる時期に来ているのかも
しれない。
(ナダタマ 灘文化堂「伯母野山から愛を込めて」2007.9.10より)